PRを含むことがあります。

【楳図かずお】家族構成や独身を貫いた訳!赤白ボーダーの訳

【楳図かずお】家族構成や独身を貫いた訳!赤白ボーダーの訳 エンタメ

独特なホラースタイルで知られる日本の著名な漫画家の楳図かずおさんの私生活が話題になっています。今日は 楳図かずおさんの家族構成の事や私生活にも触れていきたいと思います。楳図かずおさんがなぜ独身を貫いたのか、赤白ボーダーをこよなく愛した理由について調べてみました。

楳図かずおのプロフィール

赤と白のボーダーの柄のTシャツがトレードマークでいつも着用していた楳図かずおさん。

その生い立ちやエピソードを見ていきましょう。

1936年9月3日、和歌山県伊都郡高野町生まれた楳図かずおさんは、幼少期から絵を描くことが好きでした。

楳図かずおの母とのエピソード

生後7か月で母から鉛筆を持たせてもらった時から母に絵を描く様にねだり続けて母が困ったエピソードがあります。

母は、「小さい子に鉛筆持たせたら何を描くんだろう」と思って、まだ7ヵ月の僕で実験をしたらしいです。「丸ってこう描くんだよ」と描いてみせたら、僕が真似したのだとか。そうやって教えているうちに、僕のほうから、あれ描け、これ描けと言い出して。困った母は、字を教えることに切り替えたそうです。

引用:婦人公論

母のちょっとした好奇心や遊び心が、後の楳図かずおさんの漫画家としての才能を開花させるきっかけを作ったと思うとすごいですね。

1946年、小学4年生から漫画を描き始めました。

それからは漫画を描き、夜は漫画を読み、かじりついて漫画をずっと描く生活を送りました。

1947年、小学5年生の時、手塚治虫の『新宝島』を読み、漫画家になることを決意しました。

楳図かずおの父とのエピソード

楳図かずおさんの父は教員でした。父方の家系は教員ばかりでインテリだったようです。

楳図かずおさんにも教師になってほしかった父の公雄さんでした。

楳図かずおさんにも教師になってほしかった父の公雄さんでした。

楳図かずおさんが大学に落ちたことで教員にさせることは諦めて、奈良県の地方紙『大和タイムス(現・奈良新聞)』に楳図かずおさんを売り込みました。

そこで楳図かずおさんは絵物語「吉野のあらし」を連載し始めたのです。

いきなり連載とは、やはり相当漫画がうまかったのですね。

わが子の才能をわかり、仕事へと道をつけたことは素晴らしいですね。

大学に落ちたこともきっと必然です。

漫画家デビューは1950年代で、初期作品には子供向けの作品も多く含まれていました。しかし、後にホラーに転向し、1960年代からはホラー漫画の第一人者として活動を続けています。

楳図かずお結婚しなかった理由は?家族は両親と姉と弟

楳図かずおさんは結婚されていません。

20年位前のテレビ出演の時に「生まれてこの方一度も女性とお付き合いしたことがない」と語っていました。

結婚されなかった理由を過去の発言などから推理します。

このような発言もあり母の市恵さんからも「漫画を描くために生まれてきたような子だね」と言われていることから推察しました。

楳図かずおさんが結婚しなかった理由の推察
1  漫画を描くというクリエイティブな仕事に没頭していて結婚したいと思わなかった。
2   とにかく漫画を描くことが好きで人と深くかかわることが少なかったし好まなかった。
3  気を使いすぎるタイプで人と深くかかわるのが煩わしかった。

1 漫画を描くというクリエイティブな仕事に没頭していて結婚したいと思わなかった。

2 とにかく漫画を描くことが好きで人と深くかかわることが少なかったし好まなかった。

3 気を使いすぎるタイプで人と深くかかわるのが煩わしかった。

楳図かずおさんの家族

父  楳図公雄  奈良県僻地の小学校の先生

母  楳図市恵  食べるものがなくても不満をいわないような人

姉  楳図たか

弟  楳図良雄  7つ年下で広告代理店大広の社員です。

結婚はしていないので家族は、ご両親とお姉さんと姉と弟さんが家族ですね。

でも30年かけて英語を習得し、2023年にはサンフランシスコに移住する計画もあったようで自由で充実した生活を楽しんでいたようですね。

楳図かずおの漫画代表作

楳図かずおさんの代表作には『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』などがあり、社会的なテーマや深層心理を捉えた内容が特徴です。

また、彼の作品には独自の恐怖とシュールさが含まれています。

ホラー業界への貢献と影響

楳図さんの作品は、日本の恐怖漫画界に多大な影響を与え、その後も前進の漫画家たちにインスピレーションを与え続けています。

彼の作品、恐怖は恐怖だけでなく人間の心理や社会問題を反映するメディアであると広く認識されるようになりました。 ホラー漫画の可能性を広げた楳図かずおさんは、業界のパイオニアともいわれています。

今年の9月に88歳の米寿を迎えて元気な姿をXで見せてもらったところでした。

話題のまことちゃんハウス(赤白ストライプの家)

楳図かずおさんの家は住むためではなく迎賓用に建てたといわれています。楳図かずおさんはほかにマンションを2つもっているので仕事や日常の暮らしはそちらでされていたのでしょう。

病を得てからは、都内のホスピスに入院されていたようです。

楳図かずおさんの家も彼の作品といえるのではないでしょうか?

奇抜な色の赤白ストライプの家は近所の方には不評で、壁の撤去の訴訟を起こされましたが、楳図さんが勝訴していますがあまり家には帰らなかったようです。

マンションを2つもっているので仕事や日常はそちらでしていたのでしょう。

最初は毎日掃除に通っていたようですが、最後のほうは行きたくなかったようです。

まことちゃんハウスを赤白ストライプの壁にした理由

まことちゃんハウスの色に関しては、裁判で、『赤は元気で生きている印、白は無垢で何にもないと言う余白。ストライプはまとまって見せて、エネルギーを感じさせてくれる』と述べておられたことから、赤と白のストライプに深い思い入れがあったのでしょう。

赤と白のストライプのシャツも、自分もみんなも元気になれるようにと思ったのではないでしょうか?

記念館として残す要望もあるようですが、近所の方の意向も大切だと思いますのでこれからどうなるか注目ですね。

まとめ

楳図かずおさんは、日本のホラー漫画界で多大な影響を持つ著名な漫画家です。

彼は結婚しておらず、子供もいませんが、家族は両親と姉と弟がいます。

ユニークな作品で知られ、彼の代表作はホラーだけでなく、深層心理や社会問題を扱っています。

歴史に残る漫画家であることは間違いないですね。

赤と白のストライプの「まことちゃんハウス」は最初は住んでいましたが主に迎賓用に使うようになりました。

壁の赤白ストライプが近所の方に不評で、裁判になりましたが勝訴してデザインは守られました。

他の自宅兼仕事場のマンションで生活しつつ、88歳を迎え元気な姿を見せてくれていました。

しかし残念ながら10月28日にご逝去されました。

タイトルとURLをコピーしました